AIは最高級言語になれるのか? -「動いている挙動が正義」から始める設計論- ③
目次 / Contents
なぜ従来の高級言語では限界なのか
―― AI時代における「言語」という幻想
※本記事は、筆者の考えをもとに、生成AI(ChatGPT)と対話しながら構成・文章化したものです。
高級言語は、確かに人間を楽にした
高級言語は、間違いなく進化だった。
- アセンブリよりも読みやすく
- 手書きのメモリ管理から解放され
- 少ないコードで多くのことが書けるようになった
C、Java、Python、Go、Rust……
どれも「人間が書きやすい」ことを目的に設計されている。
だが、ここで一度立ち止まる必要がある。
高級言語は「人間が書くこと」自体を前提にした技術だ。
どれだけ高級になっても、構造は変わらない
どんなに高級な言語でも、流れは同じだ。
人間が考える
↓
プログラミング言語で表現する
↓
機械語に変換される
↓
実行される
高級化とは、
- 書く量が減る
- 構文が読みやすくなる
- ライブラリが増える
という表現層の改善に過ぎない。
だが、次の問題は何一つ解決していない。
- 仕様をどう解釈したのか
- 想定外の入力にどう振る舞うのか
- 壊れたとき、何が「正しい」のか
「正しいコード」という幻想
高級言語が生み出した最大の錯覚は、これだ。
「正しく書かれたコードは、正しく動くはずだ」
しかし現実は違う。
- コンパイルが通っても壊れる
- 型があっても仕様違反は起きる
- 美しいコードほど、仕様から乖離することがある
つまり、
コードの正しさ ≠ 振る舞いの正しさ
にもかかわらず、
私たちはいつの間にか
- 静的解析
- Lint
- 型
- ベストプラクティス
を「正しさの代理」にしてしまった。
本当の正義は「動いている挙動」しかない
現実世界で価値を持つのは、これだけだ。
- ユーザーがどう触るか
- システムがどう反応するか
- 失敗時に何が起きるか
動いている挙動だけが、唯一検証可能な事実(証拠)である。
仕様書もコードも、
それ自体は「主張」に過ぎない。
高級言語の限界は「人間中心設計」にある
高級言語はこう設計されている。
- 人間が読む
- 人間が書く
- 人間がデバッグする
だが、今ここに AIという存在 が現れた。
- 何千行でも読む
- 一瞬で書き直す
- 何度でも試行する
それでも私たちは、
「人間がコードを書くための言語」
にしがみついている。
これはもう、前提が壊れている。
AIは「最高級言語」になれるのか?
AIはこう振る舞える。
- 自然言語の仕様を読む
- Issueに分解する
- 実装する
- テストし、挙動を観測する
- 仕様との差分を報告する
ここで重要なのは、
AIは“コードの正しさ”を信仰しない。
AIにとって重要なのは、
- 仕様
- 実行結果
- 差分
だけだ。
つまり、
AIは「仕様 → 挙動 → 修正」のループを回す存在
であり、
コードは単なる中間生成物になる。
仕様駆動AI開発という発想
ここで必要なのは、新しい言語ではない。
新しい「主語」だ。
- 人間:仕様を書く・判断する
- AI:実装する・検証する
- 正しさ:動いている挙動が決める
これを私はこう呼ぶ。
仕様駆動AI開発
これは、
- 高級言語の否定ではない
- 人間の排除でもない
「コード中心主義」からの脱却だ。
結論:限界なのは言語ではなく、思想だ
従来の高級言語が限界なのではない。
「コードを書くことが開発の中心である」
という思想が、すでに限界なのだ。
AI時代の開発において、
- 言語は道具に戻り
- 仕様が主役になり
- 挙動が真実になる
ここから先は、
どんな言語を使うかではなく、
誰が何を責任として持つかの問題だ。

